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                          新しき太田道灌への道

 このページでは道灌研究家尾崎孝著『道灌紀行・増補版』のご紹介と、大河ドラマに太田道灌をという要望署名のご案内を中心にお話をすすめます。       

 

 左に掲げる単行本は、2009年10月2日発行の尾崎孝著『道灌紀行・-江戸城を築いた太田道灌ー』
 322ページ(PHPパブリッシング発行)の増補版で、発行後も道灌の史跡と伝承地を探訪した成果を付加したものです。総ページ数は414に達します。
 また巻末には、道灌の数え年を記した「太田道灌関連年表」や実際に訪れた200か所をすべて網羅する
「探訪地一覧」も綴られています。



 『この書は、太田道灌を現代によみがえらせるための探訪記です。
訪ねた太田道灌関連の史跡や伝承地は、東京都、埼玉県、神奈川県、千葉県、群馬県、栃木県、静岡県などの二百か所です。道灌は、江戸の庶民から「道灌びいき」ともいうべき親愛を寄せられ、そのため各地に道灌の名前がつけられました。首都圏には今も道灌山、道灌通り、道灌橋、道灌坂、道灌濠、道灌公園などがたくさんあります。また江戸落語で語られ、画にえがかれ、各地の祭りで山車に乗せられ、方々に山吹伝説の地が生じました。太田道灌は今も各地で愛好家の熱い支持を受け、首都圏にはたくさんの銅像がつくられました。道灌の銅像は、東京都に三体、埼玉県に五体、神奈川県に一体、静岡県に一体、長野 県に一体、合計十一体あります。
(中略)
 道灌の史跡と伝承の地二百か所を踏査し、彼の人生終焉の地である伊勢原市の道灌墓所に立ち、しみじみと感ずることは、太田道灌が現代の日本人には少なくなった、ストイックな志操と強い意志をもった行動者であったということです。彼は大義のために、事故保身の道を去り、大きなリスクを取ってロマンを追う道を敢えて進んだのでした。このことにより道灌は、足軽から国人衆に至るまでの幅広い支持を集め。急速に勢力を拡大しました。そういう道灌の生きざまが、行き詰っている現代を打開するための示唆を与えてくれます。
(中略)
 この書は最初から伝記を読むように通読していただいても結構ですし、途中の興味ある部分を拾い読みして史跡探訪の手がかりとしていただいてもよいと思います。願わくは、江戸築城五百五十余年の今日、この
『道灌紀行』を機縁に一人でも多くの方々が、太田道灌の足跡をたどり、故郷の古人に愛着を深めていただくことであります。』
                      著者「はしがき」より抜萃
 


  江戸城築城で有名な太田道灌は、上杉定正の家宰(家老)で関東随一の軍師でした。伊勢新九郎時代の北条早雲との接触もあり、「下剋上(げこくじょう)」の世が来る前の一大英雄としても知られています。その居城江戸城の堅牢さと、統べる最強軍団、さらには戦上手のゆえに主君を恐れさせ、謀反の嫌疑をかけられて暗殺されてしまいます。場所は相模の国の相陽府定正の居館(神奈川県伊勢原市)。主命により討ったのは何と子飼いの武将曽我兵庫でした。

       「大河ドラマに太田道灌を」という要望のための署名用紙を印刷するには左のポスト画像をクリックしてください。
            宛先、照会電話先も出てくるページに記されています。尚、A4判に拡大するには150%が適当です。よろしくお願いします。

                                        太田道灌を大河ドラマに! の誘致活動
この誘致活動は、伊勢原市の「太田道灌を大河ドラマに!推進準備実行委員会」を中心に行われています。



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